今年もこの日がやってきました。
ここ数年は出張と重なり、旅先で黙祷してきましたが、
今年は久しぶりこの日を広島で迎えました。
中区にある自宅の周りには教会がいくつもあり、8時15分、テレビの「黙祷」の声と同時に一斉に鐘が鳴り響く。
鐘の音、蝉の声。胸が詰まってくるこの感じ。
店(事務所)はいつもの雰囲気。
今日は添うの場があったので、朝から赤ちゃん連れのママが来てくださったり、私もマイ助産院の助産師さんとお話ししたり、
TAKEFUを求めにお客様がお越しくださったり、取材もあって、賑やかにあっという間に夕方になりました。
ふっとひと息ついた時に撮った写真。
いつも通りお仕事できることがとてもありがたい。
日常がありがたい。
あの日から81年後の川沿いの景色。

栗原貞子さんの「生ましめん哉」という詩をご存知でしょうか?
私は数年前、吉永さゆりさんの朗読で耳にし、忘れられない詩のひとつとなっています。
改めて今年もシェアさせてください。
『うましめんかな』
こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ1本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
1946年3月「中国文化」
—————————
実際この産婆さんはこの後も長生きされ、この取り上げられたお子さんと再会されたそうです。
後日談に救われます。
被爆された方の平均年齢が今年で86歳になったそうです。
平和の願いを託された私たち、であるはずです。

