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マアルの近くにある空鞘稲生神社の被曝クスノキ

今朝、娘たちを送り出して
昨日のTAKEFUのお話会報告のブログを書いた後、洗濯物を干したら
8時15分になり、たくさんの鐘の音とともに黙祷をしました。

日常の中に8月6日があり、
日常の中に原爆ドームや平和公園があり、
マアルはその場所から徒歩数分のところにあります。

今、頭上にはヘリコプターが飛んでいます。

一昨年までは世界中から集まる人たちでホテルは満室、8月になると海外の旅行者が増え、本当に、どこも混雑していました。

それが、今年、街はとても静か。

テレビはオリンピックのこと中心です。

これまでに何度かマアルのブログに書いている、
この詩を、今年も。

中区千田町に当時あった郵便貯金支局での実話をもとに、
自身も被曝された詩人の栗原貞子さんが敗戦後「中国文化」という冊子の第1号で発表された詩です。

二度と戦争はしない、と、今年も強く思います。


『うましめんかな』


こわれたビルディングの地下室の夜だった。

原子爆弾の負傷者たちはローソク1本ない暗い地下室をうずめて、いっぱいだった。

生ぐさい血の匂い、死臭。

汗くさい人いきれ、うめきごえその中から不思議な声が聞こえて来た。


「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。


この地獄の底のような地下室で今、若い女が産気づいているのだ。


マッチ1本ないくらがりでどうしたらいいのだろう人々は自分の痛みを忘れて気づかった。


と、「私が産婆です。私が生ませましょう」と言ったのはさっきまでうめいていた重傷者だ。


かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。

かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。


生ましめんかな生ましめんかな己が命捨つとも




1946年3月「中国文化」