マアルのはじまり

長女が生後3ヶ月から重症のアトピー性皮膚炎を発症しました。

夜もほとんど眠れず、原因もわからぬまま、
まだ20代だったわたしは、
彼女の症状の改善を願い、全力で四方八方駆けずり回りました。
いいお医者さんがいると聞けば出向き、
いいものがあると聞けば試し。
「まんま」に続く、初めての言葉らしきものは「あちゃーちゃん」。
おそらく、お母さんか、お父さん。
そして、それに続く言葉は「かいー」=痒い、でした。

代われるものなら代わってあげたいと本気で願う毎日。
そして出産から2年が経ち30歳になったある日、
異常なほてりと、痒みを感じました。
まさかの、私自身のアトピー性皮膚炎の始まりでした。

娘とわたし。
代わるどころか、同時進行になったことで、
それまで「治してもらおう」と、どこか他力本願だった考えに踏ん切りがつき、身体の根本的なところから見直す目線がうまれました。

食いしん坊だったので、
まず食事療法から。

自然食を学ぶようになり、
そこから繋がる東洋医学や、普段口にしているものの原料のこと、生産のこと、
どんどん視野が広がって夢中になりました。

自然食品店に出入りするようになり、店の片隅にそっと置いてある布ナプキンの存在に気づいたのもこの頃です。

身に着けるものは「綿」がよいと聞いていたので、
購入する際には木綿の肌着を選んで着ていましたが
同じ「綿」でも痒いものがあれば、痒みの少ないものもあり。

裁縫は下手ながら好きだったので、
縫い目を外側にして娘の肌着をせっせと縫っていました。

全身の感覚神経を研ぎすまして、痒みが少ないもの、を出来るだけ寄せ集めていく生活でした。

こうして食や衣に 気をつけていても、
黄砂やカビっぽい空間、新築の室内などで肌が反応することから、
自分を取り巻く環境にも目がいくようにもなりました。


衣食住以外にも、こころが疲れることで症状が出たり・・・。

認めたくないけど、肌が、身体・心・周りの環境のことを教えてくれました。


肌が安心するように、
身体が喜ぶように、
生産に携わる人が搾取されることなく健康で過ごせるように、

ひとつひとつを確かめながら
優しいものを求めていくと
心までほっとするものたちに繋がっていきました。

そして志を同じくする友人たちと繋がり、
活動の幅が広がっていきました。
「心地いい」が教えてくれたいろんなこと。

繋がって繋がって、マアルになりました。

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