今日は新月かぁ。とカレンダーを見て、ふと思い出したことがあります。
新月に願い事を書く人はわたしの周りに多く、
実際わたしも30代は随分熱心に書いていました。
40代も後半になると、気が向いたときだけになり、
そういえば50代になって書いたかしら?
願い事は書かなくなったとはいえ、
やっぱり「新月」の日は特別。
惰性に流されがちな日常の中で、リセットしたり、よし!と背筋を伸ばす
ポイントの日になっています。
で、どんな願いごとをしていたかはそんなにたくさん覚えてないのですが、
アトピーのことは症状が辛い時、やっぱり書いていたなぁ。
新月のお願いは具体的に、「〜ように🙏」と願うんではなく、「〇〇な状態になっている」と設定した風に書くのがいいと聞いていたので、
・来月には顔の腫れが引いています とか、
・落屑(細かいかさぶたの様なもの)を気にしないで暮らしています、とか
・かゆみがなく、親子で朝までぐっすり眠れています。とか。
思い出しても泣けてきちゃう。
衣食住、お手当、『痒くならないためには』に相当コミットして生きていた頃です。
あの頃は全部、1日でも早くしっかり治る!アトピーが終わる!を目標にしていたけど、
結局30歳で発症してから21年(わ、そんなに経ってるのか、、、)、
そんな、劇的に全部良くなる、なんてことは私にはありませんでした。
振り返ると、
数年に1パーツずつくらいの感じで、
ゆっくりゆっくり、アトピーの出ているエリアが終わっていった気がします。
とにかく炎症があちこちに出ているときは辛いし、
毎日鏡とにらめっこ、
指先は皮が剥がれているところを常になぞり、なぞることが刺激になってまた痒みが出て、、
翌日には落屑、、
入浴後や、肌に合わないものを当ててしまったあと、ストレスが過多に与えられた時、
痒みで気絶するんじゃないか、骨が出るまで掻いてしまうんじゃないかと思う恐ろしさは、経験した人じゃないとわからない。
ここで「掻いちゃダメ」なんて言われると地獄です。
言わなくても「掻いちゃだめ」って思っている人がそばで見ているだけでもストレス。
言われなくたって自分が一番よくわかってるんだから。
家族はとにかく痒みに対し、放っておいてくれるのが一番。
(私は自分がアトピーでしたが、同時に娘も症状がありました。
痒がる家族を目の前にして、何も言わない、放っておくということがどれほど難しいか、、、。私もできるだけ言わないように意識はしていたけど、目が常に見張っていた気がしています。それはしっかり娘にもバレてただろうな。
治療方法や日常のケア、いろいろ考えつつも、それは淡々と言葉少なめにして、
掻いている状態ひとつひとつにコミットしないほうがよかったんだろうな、と
反省含め思います。
思えば、私自身には、元夫も、時々泊まってくれていた母も、娘たちも、だれも言わないでいてくれたことが本当にありがたかった。特に母は、超心配性だからどれほど私達親子がジクジク真っ赤かなとき、心配だったかと。)
話が横にそれました。
この夏の終わりに気づいたのは、
今年は一度も「脇の下がかぶれていない」ということ。
毎夏、特に6月くらいかな、汗が増えはじめる時期に脇の下がかぶれて痒くなり、一度はかさぶたができていたんです。
一度かさぶたができると、かさぶたが治った後の肌ってやっぱり薄いので、
その後も汗の塩気で痒くなって、なかなか終わらない。
それが今年、汗をかいても一度も痒くならなかった!
こんなふうに、あ、そういえば、という感じで50代に入っても症状が改善していくのが本当にありがたい。
肩の皮膚が全部繋がった(繋がったというのは、炎症や剥がれているところがなく、全て表皮で覆われた、というイメージ)のだって、たかだか6年前くらいです。これはタンクトップができ、2年経った頃だったかな。
乳首が被れなくなったのはその翌年くらいだったかな、、。
(やっぱりこれも、ブラパッドを発売して1年経った頃のような気がします)。
40代、再生サイクルも遅くなっているので、
鎮静もゆっくりですが、それでも
体はちゃんと、こんなに忙しくしてても、私を楽にさせてくれるように健気に頑張ってくれていて、
本当にありがとうございます、の気持ちです。
気づけば30代に書いていた、
痒みに関する願い事は全部クリアしています。
身体さん、本当にありがとう。
シミが、とか、シワが、とか、
お母さんもっと気にしなよ、と娘は言いますが、
いいの、痒くないだけで本当にありがたいの。
まだ数カ所、もうあと一息、時々かゆい、程度のパーツがありますが、
これもきっと、数年後には終わっている希望的観測が持てる。
肌がお辛いかたがお客様にたくさんいらっしゃいます。
1日も早く、の気持ちも、少しでも楽になりたい気持ちも、
自分の経験が、お役に立てられることがあるとするなら、まず共感だと思っています。
忘れない、忘れられないです。
あの、何をしていてもどこにいても常に「痒い」が共にあった頃のことは。
私が今願うこと
ひとりでも痒みから解放されていけるよう、日々肌着面から応援できるものを作り続けます。