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今日は明日の式典を前に、
マアルの事務所がある本川町の上空は取材のヘリコプターが飛んでいます。
今年はいつもとは違う、静かな8月6日を迎えるのでしょうか。

2018年の8月6日のブログでご紹介した、
「生ましめんかな」という詩。
この詩を思い浮かべながら今年も6日を迎えます。

広島では、原爆投下時間、市内に鐘の音やサイレン、いろんな音が鳴り響きます。
わたしの自宅の近くには教会が多いので、様々な鐘の音が鳴り渡ります。
胸を突くような音波に包まれ、
ああ、本当に二度と戦争を起こしてはならない。と強く思います。

2018年8月6日 櫻木blog「生ましめんかな」https://marrublog.exblog.jp/27034723/
詩と、その時書いた補足を少し貼ります。

栗原貞子さんの「生ましめん哉」という詩をご存知でしょうか?

私は数年前、吉永さゆりさんの朗読で耳にし、
忘れられない詩のひとつとなっています。

その詩の石碑が、
一昨年までいたマアルの事務所・店舗のある白島という街の中の、
郵便局株式会社中国四国の敷地内にあると知ったのは数年前。

同じ町内で助産院を開設され、
マアルの肌着もお取り扱いくださっているKEI助産院の田中先生が
8月6日におまいりされている投稿で知りました。

中区千田町に当時あった郵便貯金支局での実話をもとに、自身も被曝された詩人の栗原貞子さんが敗戦後「中国文化」という冊子の第1号で発表されたこの詩。

『うましめんかな』


こわれたビルディングの地下室の夜だった。

原子爆弾の負傷者たちはローソク1本ない暗い地下室をうずめて、いっぱいだった。

生ぐさい血の匂い、死臭。

汗くさい人いきれ、うめきごえその中から不思議な声が聞こえて来た。


「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。


この地獄の底のような地下室で今、若い女が産気づいているのだ。


マッチ1本ないくらがりでどうしたらいいのだろう人々は自分の痛みを忘れて気づかった。


と、「私が産婆です。私が生ませましょう」と言ったのはさっきまでうめいていた重傷者だ。


かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。

かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。


生ましめんかな生ましめんかな己が命捨つとも




1946年3月「中国文化」