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今月、クローズアップ商品がブラジャーということで、私の胸が熱くなるこの工場長のことをぜひ書かせてください。
 
ippo vol.11「マアルの肌着ができるまで 後編  糸から生地、そして肌着へ」
で一部ご紹介していることと重複しますが、
 
この機会にこのブラジャーを縫ってくださっている工場長さんのことを
詳しく書きたくて。
 
マアルのブラジャーが出来たのは今から2019年12月。
約2年前です。
 
山口県の山間部にある工場さんで縫っていただいています。
 
この工場長との出会いは、ずっとずっと前。たぶん9年前くらい。
 
 
マアルの肌着を縫ってもらう工場が見つからず、
必要としてくださる方が少しずつ増えてきているのに、
欠品を繰り返しているような状況の頃でした。
 
電話帳で「縫製工場」を調べては電話をし、
ようやく訪ねていける工場をみつけても、
縫い糸もオーガニックコットンであることや
生産量の問題、
今思うと私の知識不足や経験不足も大いに影響し、玉砕する日々。
 
そんな中、訪ねて行ったある工場長さんが
「うちではアンタのところの商品を縫えんが、ここ行ってみたら?」と紹介してくださったのが
この山口県の工場。
電話してみると、
「お役に立てられるかわかりませんが、まあ見せてくださいな」ということで、
車を走らせ伺いました。
 
 
ダムを超え、トンネルを超え、
里山をいくつも超え、心細くなったところに急に歴史ある風情を持った街並みが現れ、この工場がありました。
江戸時代は和紙の生産で栄え、出雲国から岩国藩主までの往来で栄えた街道が残っています。
 
 
お父様のあとを継がれたという、女性の工場長さんが出て来てくださいました。
 
残念ながらそこはブラジャーの専門工場で(今思うとそれを確認せずに私は行ったのだなぁ、、と我ながら呆れますが)
当時のマアルはもちろん、
ブラジャーというのは遠い遠い「いつかの棚」の上にあって、
「せっかく来ていただいたけどうちじゃ作れないわねぇ」というお返事でした。
マアルのポリシーや、私が「こうだったらいいな」という夢のようなことを
一心に聞いてくださって、もうそれだけで十分、と思っていたのに(聞いてくださること自体が当時は奇跡みたいでした)
 
そのあと工場長さんが突然、どこかへ電話をし、
「今ね、ここにこういう方が来ているんですが、、、」と、
いきなりわたしを紹介をしてくださったんです。
 
なんとそこは、
泣く子も黙る超ビック下着メーカーの大工場でした。
 
いきなり、面談の約束まで取り付けてくださったのです。
 
 
マアルを初めて3年目くらいの頃で、
どんなことがあっても「泣かない」となんだかすごく気負っていた頃でしたが、
初めて泣いてしまったのが、この時でした。
 
(何度思い出しても泣いてしまいます、今も書きながら泣いてます 笑)
 
 
しかも、しかもです。
その面談日、
島根県の、広島から片道4時間かかる道のりを、
なんと、その山口の工場長さんが私を乗せて運転していってくださったんです。
 
本当に信じられないことです。
 
 
わたしひとりで乗り込んで、仕事を受けてくださる訳がないこと、
その工場長さんは重々知っていらしたのでしょう。
縫いに関する専門用語を使い、私の説明の補足をしてくださったり、
頭をさげてくださいました。
 
 
こんなふうに、見ず知らずといっていい人間に、
ここまでしてくださる人っているんだ、、ということ、
私は一生忘れちゃいけないなと今も思っています。
 
マアルを始めて9年、念願のブラジャーが、他のどこでもなく、
この山口の工場長さんの手によって出来たことは、
何よりといっていいほど嬉しいことでした。
 
 
生成りサーモンピンクネイビー と種類が徐々に増え
ブラジャーのリピーターさんが出来てきたこと、
とても喜んでくださっています。
 
 
マアルのブラジャーは、
こんなに気持ちのいい方が運営する工場さんで縫ってくださっています。